第12回 星貞裕さん


1.がんがわかったきっかけについて

はじまりは、検体の採取ミスから
 毎年、3月に会社で人間ドックを受けていました。今から5年ほど前の2018年3月、何度も採取していた大腸がん検診(便潜血検査・2日法)の1回目の検体採取でちょっとしたミスを犯したのです。当然の結果ですが、1回目検体が陽性でした。採取ミスを自覚していたことと年度替わりで仕事の忙しさにまぎれ、精密検査を延ばし延ばしに…。

その年の6月、知り合いの医師から「大腸がん検診で陽性になったんだってね。私もそうだったんですよ。精密検査で内視鏡検査をしたら、ポリープがあってその場で取ってもらったんです。今はね、鎮静剤で寝てる間に簡単にできるからやっておきなさい。やっとけば安心だから…」と会社近くの消化器内視鏡専門のクリニックを紹介してもらいました。

実は、3か月ほど前から食べ物が喉を通る時、少しつかえ感があり、診療所を受診し「逆流性食道炎」と診断され、タケキャブ(薬)を処方されていました。そのことも頭をかすめ、お世話になっている医師から背中を押されたこともあり、「やるなら胃と大腸の両方の内視鏡検査を」と、その日の昼休みに紹介されたクリニックに連絡。1か月後に胃と大腸の内視鏡検査を受けることにしました。

「胃も大腸もきれいだけど、食道に腫瘍が…」
 検査日は忘れもしない7月27日。鎮静剤がよく効く体質なのか、寝ている間に検査はあっという間に終了。リカバリー室を出ると、診察室で医師と向かい合って話をすることに…。
 「胃も大腸もきれいだったんだけど、食道に腫瘍が…。食道がんだね」と画像を見せてくれました。素人目にもわかる「がん病巣」です。

心の中で「よりにもよって食道がんか」と呟いていました。というのも食道がんは予後が悪いことを知っていたからです。

「はぁー、食道がんですか?タケキャブはもう飲まなくてもいいんですか?」となんだか頓珍漢な質問をしていました。よほど気落ちしていて血の気が引いていたのでしょう。その医師はフランクに話す方で、「薬は飲む必要なし。なぁ~に、この世の終わりのような顔して・・・。大丈夫!手術で治った人はいっぱいいるんだから」と肩をたたかれて励まされたのを覚えています。

1週間後、正式に組織の病理検査結果が出るので、その結果をみて病院への紹介状を出すと言われました。とりあえず職場にはすぐに連絡し、その日が金曜日だったので翌週の月曜日にいろいろと対応をすることにしました。

 スマホで「食道がん」「食道がん 生存率」「食道がん 手術」「食道がん・・・」何度何度も繰り返し検索をかけて、いろんなサイトを見ながら家路についていました。
 帰りの道すがら手帳を買い、その日から日記を付け始めました。今、その手帳を開くと冒頭に「逆流性食道炎だと思っていたら、食道がんだった。5年生存率40%・・・」と記してあります。

2.治療について:治療方針をどのように決定したか?検索した情報サイトがあれば教えてください

病院選びからスタート
 紹介状を出すというので、まずは病院選びからスタートです。ちょうどその年の4月にダ・ヴィンチ(ロボット支援手術)が保険適用され、それも視野に入れて症例数や専門性、病院の特色などいろいろとネットで検索し、調べました。

最終的に結論を出したのは、家から最も近い神奈川県立がんセンターです。
 がんという病気は手術をしてそれで終わりというのでなく、1年、2年、3年…と通う必要があります。また何かあった時、家からすぐに駆け付けることができる病院がベストと判断しました。後にそれは本当に私にとってとてもよい選択だったことを知ります。

内視鏡検査をしたクリニックの医師には「紹介先は、連携大学病院ではなく県立がんセンターでお願いします」と伝えました。内視鏡検査を勧めてくれた医師も「とにかく早めに見つかってよかった。県立がんセンターなら安心だから」と自ら県立がんセンターの消化器外科担当医に手紙まで添えてくれました。それが今の主治医です。

主治医からは「がんセンターでは標準治療を行います」と伝えられました。初めて検査に訪れた時は、何が何だかわからず、まるでベルトコンベアに乗っているかのように次から次へと検査室を巡りました。リンパ節転移がなければステージⅡ、1個でもあればステージⅢ。いずれにしても進行がんです。

「知は力なり?」
 ただただ検査室を巡った初診終了後、ふと我に返り「何を検査したかもわかっていない。これはまずい!」と、あらためて「食道がん」について調べまくりました。参考にしたサイトは主に「日本食道学会」、日本癌治療学会の「がん診療ガイドライン」それと国立がん研究センターの「がん情報サービス」です。

食道がんは決して予後がよいとはいえません。2年以内に転移が見つかるともいわれます。当初は、食道がんに罹った人のブログも読んだりもしました。しかし厳しい現実をみることが多く、ある時からもう見ないと心に決め、シャットアウトしました。

当時の食道がんの標準治療は、術前に抗がん剤治療のFP療法を2クール実施し、腫瘍を小さくして、外科手術を行うというものです。
 FP療法は、シスプラチンを治療1日目に投与し、5FU(フルオロウラシル)を1日目から5日間かけて24時間持続的に点滴投与します。9月と10月に1クールずつ実施。その間、「知は力なり」ではないですが、抗がん剤も含めてとにかく調べました。

自分なりに調べ、わからないことやお願いしたいことをメモに整理し、優先順位をつけて幾度かに分けて主治医や看護師、薬剤師、管理栄養士に質問や要望を出しました。
 抗がん剤の副作用は、しゃっくりから始まり、口内炎、吐き気などほとんどの症状が出ました。県立がんセンターでは、食欲のない人のために「特別メニュー」を用意していたのでそれをオーダー。フルーツの盛り合わせやケーキ、アイスにはとてもお世話になりました。

さて、手術は、胸腹部の食道切除と頸・胸・腹部のリンパ節郭清の後、胃を細い管(胃管)にして食道を再建するというものです(食道亜全摘術・胃管再建術)。非常にリスクも高く、身体に与えるダメージも大きな手術です。私の場合、リンパ節を78個取っていました。
 消化器外科医や看護師だけでなく、頭頚部外科や歯科医をはじめ麻酔科医、管理栄養士、薬剤師、そしてリハビリに関わる理学療法士や作業療法士、言語聴覚士など複数にわたるチーム医療で行われます。こんなに多くの人たちに支えられているんだと、手術後まざまざと痛感しました。

手術は11月12日。9時間近かったと聞いています。手術翌日、身体中に管を7~8本繋げながら点滴スタンドにつかまって立って歩かされたのには驚きましたけど…。

 

待っていた現実、退院後の生活の方が大変
 入院中は毎朝、主治医や担当医が顔を出してくれて気を配ってくれていました。何かあればすぐに医師や看護師が駆けつけてくれます。命を預かるというのはこんなことなのだと、本当にその働きぶりには頭が下がりました。

しかし退院後は、そうはいきません。体重は10㎏以上減り、体力もなくなり歩くのもやっと。食事も自分作らなければいけない。しかも食事量は4分の1で、1日5回に分けて摂取。食べたら横になるのではなく30分以上座って休む。脂ものや食べ過ぎたり、早く食べるとダンピングや腹痛を起こし、動けなくなる。睡眠時はフラットの状態だと逆流を起こすので、布団の下に座布団を入れて寝る・・・注意しなければいけないことを挙げたらきりがない。それが現実でした。

退院1か月で、誤嚥性肺炎で緊急入院。その直後、胃管と上部食道をつなげた部分の吻合部狭窄でバルーン拡張術。1週間後にまた狭窄になり、RIC(radial incision and cutting)法で拡張術。県立がんセンターには計60日近く入院していたことになります。肺炎時も吻合部狭窄時も、電話するとすぐに主治医たちに連絡を取ってくれて迅速に対応してくれました。感謝しかありません。

退院1年後、思い切って旅行に行くことにしました。世界遺産に登録された長崎県の五島列島です。「案ずるより産むが易し」やればできると自信をつけた想い出です。それが冒頭の写真。新型コロナの話題が少し出始めた頃でした。

3.がんを体験したからこそわかったこと、伝えたい思いを教えてください

ある人から「がんになって声をかけられてうれしかった言葉と、逆につらかった言葉があったら教えてください」と訊かれたことがありました。

うれしかった言葉は、自宅療養中に経過報告をするため職場に連絡をした時、同僚から「みんな星さんを応援していますから」と電話越しに言われた言葉です。
 つらかったのは復職後、がん経験者だった先輩社員の例を出され、業務に関して「○○さんはあんな風にやっていたのに、なぜできないの?あなたとは合わない」と、他のがん経験者と比較され、会話も遮断されてしまったこと。仕事なので、効率性や生産性を重視するのは当然でしょう。でも「自分ひとりだけ、いらない人間」のような気がして心が折れました。
 こんなことを思い出して、3つほどあげたいと思います。

つらい時は「つらい」と声をあげて…
 1つ目は、つらい時は「私はつらいんです」と声をあげること。
 時折、「あなたよりもっと●●●な患者さんだっている」、「がんになっても頑張って●●●している人もいる」という話を聞きます。私よりつらくて●●●な人がいることは事実でしょう。でも「私だってつらいんです!頑張っているんです!」と声をあげてもよいと思います。その声に思いを寄せてくれる人はきっといます。

自分のがんのことを知る
 2つ目は、自分の身体のこと、自身のがんのことをよく知ること。
 わからないことは調べ、主治医や看護師などに質問することの大切さです。がん治療や後遺症は、つらいし、苦しいですし、時間をかけてそれなりの工夫をして対応しなければいけません。時には一生その体と付き合っていかなければいけません。そのためにはがんのこと、自分のことを知っておくこと、「患者力」を高めていくことが大事だと痛感しました。

孤立しない
 3つ目は、孤立しないこと。
 がんに罹ってしまい、副作用や後遺症などもあると、引きこもりがちになります。私もそうでした。孤立すると知らないうちに体も心もボロボロになります。人に話しかけることさえできないくらい追い詰められていきます。言うのは簡単ですが、そうなる前になんとかがん相談支援センターなどにコネクトしてほしいと思います。匿名でも相談は可能のはずです。自分をまず第一に大切にしてください。

私もそうでしたが、自分に対してなんとなく自信を失い、1歩踏み出すことに躊躇してしまいます。たぶん私は運がよかったのでしょう。退職後、周りの方々に恵まれて、がん患者の方々と交流する場をいただきました。がん患者を少しでも応援したい気持ちとこれからの限りある時間のことを思い、少しでも何らかのつながりを持とうと思いました。

現在は、県立がんセンターの患者会「コスモス」や同センターの「がん患者サロンあさひ」、そして2020年に設立された「食道がんサバイバーズシェアリングス(食がんリングス)」でお手伝いをしています。今年からは国立がん研究センター患者・市民パネル(任期2年)にも参加しています。

患者会「コスモス」は、このJ-CIP神奈川でも紹介されているのでご一読ください。この会の強みは何といっても県立がんセンターのがん相談支援センターと連携して活動していることです。
 また食道がん患者は、治療後、さまざまな後遺症で悩み、外出も躊躇するなどこれまでにないつらい経験をしています。「食がんリングス」では、今年4月にそのような後遺症にどう対処し、どのように工夫して生活を送っているか、その体験談をまとめた『食道がん あるある生活』(医療監修=藤田武郎・国立がん研究センター東病院食道外科医師)という冊子を作成しました。私もその冊子製作に携わりました。同会ホームページからもダウンロードもできます。興味のある方は覗いてみてください。

 

神奈川県立がんセンター 患者会「コスモス」
https://kcch.kanagawa-pho.jp/examination/support.html>

食道がんサバイバーズシェアリングス
https://www.shokuganrings.com/

体験談一覧はこちら ⇒ 体験談