第5回 川口健太朗さん


1、がんがわかったきっかけについて

2013年10月に下痢が始まりました。26歳でした。しかし、その日は食べ飲み放題のお店に行ったので、食べ過ぎてお腹を壊したのだと思いました。

次の下痢は、11月に2回。年末には、毎日のように下痢になりました。しかし、深夜までのお酒の会も増えたので、気にすることなく年を越しました。1月は腹痛を伴い、[腹痛→下痢→落ち着く→腹痛→下痢→落ち着く]を、毎日繰り返し、おかしいな?と思うようになりました。 ですが、高卒でブラック企業に入り、身体にブラックワークが染みついているため、仕事を休んで病院にいくという発想は全くありませんでした。

2014年2月。ついに立っていられないくらいの激痛になりました。(がんが大きくなって腸を塞ぎ、腸閉塞の手前のような状態で、激痛に変わったようです。)
立てないと仕事にならないので、やっと病院へ行きました。そこでCTを撮り、大腸カメラの予約を取りました。2日後、大腸カメラで「がん」が見つかりました。

たまたまですが、告知の1年程前から、日記を書いていたので、4か月前の下痢が最初の前兆だったことがわかりました。

2、治療について:治療方針をどのように決定したか?検索した情報サイトがあれば教えてください。

病院は家と会社から一番近く、子どもの頃からお世話になっている市立病院にしました。
治療方針は、まず手術の選択肢がありました。大腸のがんの部分を取るということで、「開腹手術」か「腹腔鏡での手術」。前者はお腹を切る開腹手術を行なうので、回復に時間がかかるというデメリットがあるが、すべてを切り取ることが出来るというメリットがある。後者はお腹に何か所か点の穴を空けて切り取るので、身体に負担が少なく回復が早いことがメリットだけど、取り切れないこともあり、その場合は開腹になるとのこと。このように理解したため、ガバッと取って欲しかったので開腹手術を選びました。

術後、リンパ節への転移がわかり、ステージ3bと確定しました。そのため、抗がん剤治療をすることとなりました。その際の選択肢は、「入院」か「通院」。術後の退院翌日から仕事に戻るようなブラック人間には、「通院」しかありませんでした。
午前中に抗がん剤の点滴をして、午後からそのまま仕事に行きました。そんな抗がん剤治療を半年間続けました。副作用でどうしても動けなくて休んだこともありましたが、基本的に気持ち悪くても「おぇっ」となりながら仕事をしていました。

検索した情報サイトではありませんが、「がん」という病気のことを映画やドラマの中の病気としか思っていなくて、知識がなかったので、がん告知の夜にネットで検索しました。様々なサイトやブログ、SNSを見ました。5年生存率や、亡くなった方の話しなど、「がん=死」というイメージの情報ばかり目に入ってきました。
きっと、不安な気持ちからそのような言葉ばかりが目に入ったのだと思いますが、告知の夜にネットで調べたことで、「死んでしまう病気なんだ」と思うようになってしまいました。

3、がんを体験したからこそわかったこと、伝えたい思いを教えてください。

26歳で「がん」になる前は、168cm、86kgのデブでした。毎晩飲み歩いて居酒屋の食事で生活をしていました。抗がん剤治療を始めてから、副作用を緩和するために、自炊を始めました。野菜中心の食生活にしました。すると体重は10kg落ちて、身体が軽くなりました。
身体が軽くなったので、ウォーキングを始めました。数ヶ月してランニングに変わりました。
2年間ランニングを続けたら、さらに体重が20kg落ちて、健康的な身体になりました。

「がん」がきっかけで、ライフスタイルが変わり病気前と比較して心身ともに健康になりました。そして「がん」を経験してわかったことは、「病気があってもなくても健康的に生きる」ということです。

伝えたいこと。がんサロンやがん患者向けイベントなどで、たくさんの仲間に出会いました。余命宣告されても何年も生きている仲間はたくさんいます。
僕はがん告知の夜に「がん=死」というイメージを持ってしまいましたが、「がん=死」ではないことを、たくさんの仲間に教えてもらいました。
“僕が今、生きている”ということでも、誰かのイメージが変わるキッカケになれたら嬉しいです。

そしてこれからも“「がん=死」ではない”ということを伝えていきたいです。