第4回 阿蘇敏之さん


1.がんがわかったきっかけについて

高校卒業後、就職し社会人3年目の20歳の時でした。
痛みは無かったのですが、なんか股間がおかしいな~!?と違和感はありました。
ある日、職場の先輩に「阿蘇の股間デカくない?」と言われ、徐々に片方の睾丸が大きくなってきていることに自分でも気づいてはいたのですが、恥ずかしいという思いと、どうすればよいのかわらいという思いで、しばらく放置していました。。

その年の10月、気づけば片方の睾丸はソフトボールぐらいの大きさになっていました。
さすがにこれは病院に行った方が良いのではないか?という思いと、来月には結婚式も控えていたので受診を決意しました。S病院の総合案内で泌尿器科の存在を教えていただき受診し、主治医からは「良性か悪性かは腫瘍を摘出し、その細胞を検査してみないとわからないが精巣腫瘍の疑いがあります。すぐに手術をして摘出しましょう。」と言われ入院日や検査日、手術日などいろいろな事がその日のうちにあれよあれよと決まっていきました。これが精巣腫瘍と分かったきっかけでした。

時は進み精巣腫瘍の治療や経過観察も終了し、病気だったことすら忘れかけていた治療から23年後の43歳の時でした。軽い腹痛と腰痛が現れ始め市販の鎮痛剤を服用していたのですが、段々と痛みが増してきて座っている状態でも横になっている状態でも薬を飲んでも痛みが治まらず、妻の「尿路結石だったら相当痛いみたいだよ!」の一言で痛みの苦手な私は病院を受診する事を決意し近所のF病院へ。内科を受診し超音波検査の結果、「悪いものがあるから外科に回ってください」と言われ、外科へ。そこで主治医の診断は「詳しく調べてみないと分かりませんが、腸の後ろに大きな腫瘍があります。恐らく後腹膜腫瘍でしょう。後日ご家族と一緒に来てください。」とのことでした。私は23年前の病気の事を先生に伝えて、その日は痛み止めのお薬を処方してもらい帰宅しました。これが後に後腹膜胚細胞腫瘍とわかるきっかけでした。

2. 治療について:治療方針をどのように決定したか?検索した情報サイトがあれば教えてください

 20歳の時の精巣腫瘍の治療については、インターネットのないポケベル時代で情報といえばお医者さんや看護師さんから聞く、耳から入ってくる情報だけでした。自分自身も本などで精巣腫瘍について調べたりすることはありませんでした。がんについて何も知らなかった私は、いぼ か おでき か何かできただけで、とってしまえばすぐに治るだろうと思っていました。なので、治療に関した事は当時の主治医に全ておまかせし、睾丸の摘出手術を行い治療後は一年間だけ経過観察で病院に通院しましたが、その後は引っ越しをし生活環境も変わってしまったことから病院にも行かなくなってしまいました。

そして、今から5年前、精巣腫瘍罹患から23年後の後腹膜胚細胞腫瘍の治療については、前項の「がんが分かったきっかけについて」の続きになりますが、近所のF病院を後日、家族と受診し説明を受け、1日でも早く腫瘍を取除き痛みから解放されたい、という思いから腫瘍摘出手術する事に決めたのですが、「この病院では手術ができません。私が手術を担当しますので転院してもらえますか?」と言われ家族と相談した結果、自宅から車で片道2時間かかるY病院へ転院する事になりました。

早速Y病院に入院し手術に向け準備も進んでいましたが、手術前日にY病院外科担当医からお話があり、「もし23年前の精巣腫瘍が原発巣で今回、転移再発だとしたら抗がん剤が効くかもしれません。抗がん剤治療を受けてみますか?」というご提案でした。そして更に担当医は「3つの病院の泌尿器科の先生方が阿蘇さんの治療に手を挙げていただいています」と続けて教えてくれました。私は少し考え、その場で抗がん剤治療を受ける事を決め、3つの病院から1つ、K病院を決めて担当医に伝えました。その場にいた家族も私の決断に反対しませんでした。そして紹介状を書いていただき、抗がん剤治療に向け再度転院しスタートする事になりました。

今度の転院先のK病院は自宅から近い病院。なぜ3つの病院からこのK病院を選んだのか。病院選びのポイントはY病院担当医からアドバイスをいただいていましたが最大の決め手は、自宅から近いからです。以前のY病院は、自宅から車で往復4時間。「毎日面会に来なくてもいいよ」と言ってもほぼ毎日来てくれる妻。言葉には出しませんが、きっと疲れているのではないかなと思いました。自宅から近ければ、色々な面で家族への負担も減ると考え選びました。

そして、なぜ抗がん剤治療を選んだのか。痛みに弱い私、以前F病院主治医から手術に関して「先ず開腹してみないと中の状況は分かりませんが、かなり腫瘍は大きく周りの臓器や静脈にも入り込んでいる可能性があります。その時は周辺の臓器も可能な限り削り取り、血管も切断し人工物を入れるか、腿の血管を移植するなどの治療が必要になるかもしれません。もし取り切れなかった場合は、その時点で傷口を塞ぐ可能性もあります」などの説明を受けていたので、もしかしたら抗がん剤治療の方が痛みも少ないし多少かもしれないが楽なのではないかという思いから抗がん剤治療を受けることに決めました。

K病院に転院し針生検を受けた結果、精巣腫瘍の転移再発と分かり後腹膜胚細胞腫瘍と診断され抗がん剤治療を7クール、腫瘍が小さくなったところで開腹手術で腫瘍を摘出し後腹膜リンパ節郭清術も行いました。幸い他の臓器や静脈にも異常は見られず、合併症や副作用は残ってしまいましたが無事に治療を終えて、今は治療後5年目の経過観察中です。

治療中、精巣腫瘍については検索しましたが、治療法については全く調べることはありませんでした。ただ治療後、がんを経験した方や私と同じような境遇の方たちと実際にお会いしお話してみたいという思いからネット検索し、「がん情報サイト オンコロ」と「キャンサーネットジャパン」のイベント情報を見つけ参加させていただいたことを今でも憶えています。

3.がんを体験したからこそわかったこと、伝えたい思いを教えてください

今回、転移再発し気づいた事が二つあります。一つ目は、「ひとりじゃない!」という事です。治療中いつもそばで支え続けてくれた家族。何度も面会に足を運んでくれた友達や恩師。一生懸命に、そして笑顔でサポートしてくれた医療者の皆さん。とても励みになり「私はひとりじゃない」という事を気づかせてくれました。

二つ目は、「あたりまえは、あたりまえじゃない!」という事です。普段何気なく生活していることも病気になると生活はガラッと変わり、日常が非日常になります。一日一日が当り前ではない。大切に生きようと考えるようになりました。

今、治療している方へ、生きること、社会と繋がり続けることを諦めないでほしいです。自分で社会から断絶するのではなく、心に余裕がなくなってしまったとき、心も体もきつくなってしまったとき、一つ大きく深呼吸をし「今、生きている!」という事を実感し、ゆっくりまわりを見てもらいたいです。自分は「ひとりじゃない!」という事を感じてほしいです。そして声に出してほしいです。  悩み事は溜め込まず吐き出してもらいたい。笑顔でいてもらいたい。そんな思いからピアサポーターとして「楽しむ!学ぶ!繋がる!ひとりじゃない!」をモットーに「がんサロン おしゃべリバティー」という交流会をメインとした患者会を立ち上げ活動させていただいております。お話を聞いたり少しでも皆さんのお手伝いが出来ればと思っています。

治療中、私は「子どもたちの卒業式に参列したい。それまでは絶対に諦めず、生き続ける」という目標を立てました。生きる目標を立てると治療に前向きになる事が出来て、乗り越えられると信じています。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。