第3回 福田ゆう子さん


1.がんがわかったきっかけについて

今から数年前の34歳頃のことです。
右側の胸の上の方に、時々ズキっと痛みが走るのを感じていました。
最初はそれほど気にしていませんでしたが、次第に痛みが強くなり、触ってみると硬いしこりができていました。

ちょうどその時期に、妊娠が判明しました。
妊娠中は乳腺の変化で胸が痛くなることがある、という内容を何かで読んだので、痛みはそのせいだったんだと考え、すぐに検査には行きませんでした。その後受けた健康診断で、しこりを診てもらうと「これはもしかしたら悪性かもしれないから大きな病院で精密検査した方がいい」と言われ、詳しい検査をすると、がんと診断されました。当時比較的まだ若く、がんに罹患した身内もいないので、自分ががんになるなんて信じられませんでした。
医師からは「妊娠中に抗がん剤を使った治療はできない」「産後に抗がん剤治療をしても進行が速いから転移しているだろうし、お子さんの成長は見られない、子どもをあきらめて治療した場合も、今後子どもを持つことは難しい」と言われてしまいました。

2. 治療について:治療方針をどのように決定したか?検索した情報サイトがあれば教えてください

 次の通院の日までに、子どもをあきらめるのか、治療はせずに妊娠を継続するのか、どちらか決めないとならなくなりました。それからすぐに、情報を集め始めようと思い、SNSやインターネットでの検索、文献など、あらゆる方法で妊娠中のがん治療例を探しました。しかし、なかなか情報が見つかりません。
そんな時、妊娠中に抗がん剤治療をして出産した方の経験談のブログが見つかりました。
そのブログには治療をした病院名が書いてあったので、すぐにその病院にセカンドオピニオンを予約し、念のために、別の病院でもサードオピニオンを受診しました。
今から考えると、セカンドオピニオンを受診して、本当によかったと心から思います。もしも受診していなかったら、今のような生活はできていなかったかもしれません。

私のがんのタイプは、トリプルネガティブ乳がんというものでした。乳がんにはいくつかのサブタイプと言われるがんの種類(病理)があるのですが、トリプルネガティブ乳がんは、比較的抗がん剤が効きやすいタイプです。当時はそういった知識もなく、とにかく自分と赤ちゃんは助かるのだろうか、とそればかり考えていました。

セカンドオピニオン先の病院では、先生から「あなたは妊娠しているのよね。おめでとう!」と力強い声をかけられました。
それまで、不安の中を孤独にさまよっているような気がしていましたが、その言葉で「私と子どもは助かるかもしれない」とようやく希望の光が見えてきました。

妊娠を継続しながら治療することに決まり、安定期に差し掛かった頃から、抗がん剤治療が始まりました。産休に入るまで、シフトを減らしてデスクワークの仕事を続けながら、2〜3週間に1度抗がん剤治療に通いました。

いろいろな不安が重なっていましたが、乳がんのことよりも、お腹の赤ちゃんは順調に成長できているのか、そして無事に出産できるのかが、毎日毎日とても心配でした。その不安から逃げるように、仕事をしたり出かけたりと、なるべく何かを考える暇を与えないようにしました。妊娠中にがんの治療をしているという不安に、真っ向から対峙できなかったようにも思います。
そんな時、通院先の病院で、同じように妊娠中に抗がん剤治療を始めた友達ができました。
同じような状況で励まし合う仲間がいることが、心の支えになり、次第に病気に立ち向かう不安も軽減されていきました。

治療は順調に進んでいき、抗がん剤もよく効いたので、1つの胸にできていた2つの腫瘍が、手術の前には画像では見えなくなるくらい縮小していました。
手術の前に使う抗がん剤の投与を終え、出産予定日も近づいてきた頃、手術の方法が、がんの手術と同じ手術台で帝王切開での出産をすることに決まりました。
しかし、そんな手術の経験談など、今まで聞いたことがありません。ここでまたしても、不安に襲われましたが、そうなったらあとはもう、開き直るしかありません。

手術は、最初に部分麻酔で帝王切開から開始。
執刀中の医師に身をゆだねてぼんやりしていると、突然、オギャーという泣き声が響き「おめでとうございます!男の子ですよー!」と言われ一瞬の対面の後、感動に浸っている暇もなく、すぐに全身麻酔が投与され、がんの手術が始まりました。
こうして手術を終えました。

術後の入院中、あまり例がないからか、病院のケースワーカーさんが、すぐに地域の行政の子育て支援センターに連絡を入れてくれました。退院後、行政のフォローもあり、不安に関する話を聞いてくれたので育児の不安が軽減できました。辛い状況での育児なので、保育園に入れた方がいい、ということで話をして保育園を探すのにも協力してくれました。
退院後も、抗がん剤治療、放射線治療と、新生児の育児と治療を並行して行いました。

産後から開始した抗がん剤治療も終わり、放射線治療が始まりました。その頃は子どもが5ヶ月ぐらいになっており、毎日病院に一緒に連れて行きました。放射線室に赤ちゃんを連れている人は自分しかいなかったのですが、治療中は手が空いているお医者さんや看護師さんが代わる代わる子どもの面倒を見てくれました。たくさんの方の助けがあり、こうしてがんの治療が終わりました。

3.がんを体験したからこそわかったこと、伝えたい思いを教えてください

おかげさまで、今は経過観察に入りました。
この経験を通してたくさんの友人ができ、様々ながんを経験した方との出会いも多くありました。それは、私にとって宝物と言っても過言ではありません。

治療をしている時は、同病の友人との出会いも少なく、孤独を感じていました。肉体的にも精神的にも辛い状況だったので、なんとか乗り切る方法はないかと「新生児育児 がん治療」などのキーワードで、インターネット検索をしました。でも両立する方法は出てきません。
近くに友達も親せきもおらず、育児との両立に苦労した経験から、仲間との支え合いや気持ちの共有の大切さに気がつきました。
現在は、自分の経験を活かして、オンラインでの仲間との支え合いをミッションとした、女性のがんのコミュニティ「一般社団法人ピアリング」を運営しています。

過去を振り返ると、告知や治療など、辛いことも多かったですが、それと引き換えに、得られた宝物もたくさんあるなと、今ではそんなふうに思います。
あの時、あきらめずに情報を探して治療にたどり着き、そして、家族、医療、行政、友人など、たくさんの手を借りることができたから、今ここにこうしている。
それは、何気ない日常を「ふつう」に歩むことの幸せと、あきらめなければ違う未来が見えてくる、その2つを私に教えてくれました。

これを読んでいる方の中には、まだ告知されたばかりの方や、不安の真っ只中にいる方もいるかもしれません。
もしも孤独を感じてしまっていたり、不安な気持ちに押し潰されそうになったら、患者会の仲間や病院のがん相談支援センターなど、支え合い、寄り添ってくれる人を探してください。
気持ちを誰かに聞いてもらうことで、不安な気持ちが軽くなるかもしれません。
そしてまた笑顔が戻ってくる日も必ずやってきます。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。