第2回 岩澤玉青さん


1. がんがわかったきっかけについて

私が乳がんになったのは、41歳の時でした。私は定期的に乳がん検診を受けていて、セルフチェックもしていました。久しぶりに胸を触り、胸に石のような硬さのしこりを見つけました。翌日、すぐにクリニックに行くと、10カ月前の乳がん検診では画像に何も映っていなかったのに、丸い腫瘍が見て取れます。すぐに針生検をすることになり、病理検査の結果、浸潤性乳管がんと診断されました。私の乳がんは既に3.5センチの大きさに成長していて、検診と検診の間に急に成長する中間期乳癌ということでした。その後、大学病院での検査で、既にリンパ節にも複数転移していることが分かりました。モニターに映し出されたぶどうの房のようになった腫瘍を見たときは、「私はもう生きられないかも」と思いました。

2. 治療について:治療方針をどのように決定したか?検索した情報サイトがあれば教えてください

私の乳がんは、2種類のホルモン受容体が陽性で、HER2が陽性のルミナルHER2タイプです。治療は、抗がん剤、手術、放射線、分子標的療法、内分泌療法で、合計約11年にわたる長い治療になると主治医の先生から説明を受けました。乳がん治療に関しては、主治医の先生の説明をベースに、自分でも日本乳癌学会から出ている「乳癌診療ガイドライン」や「患者さんのための乳がん診療ガイドライン」などを調べ、その時点で有効性と安全性が確認されている最善の治療(標準治療)を行うことに迷いはありませんでした。

ただ、乳がんに罹患した時、私は不妊治療中で妊娠・出産を強く望んでいたので、治療と子どもを持つことを両立したいと考えていました。がん患者の妊娠・出産の可能性を残す「妊孕性温存」の最先端の研究がされている大学病院で、治療までに私にできることが2つあることが分かりました。1つ目は、受精卵を採卵し凍結すること。2つ目は、入院して手術で卵巣組織を取り出し凍結することでした。ただ、治療後の生殖治療やその可能性など分からないことも多く、先のことがまったく見通せない状況でした。

乳がん治療開始まで、4週間。その間に、情報収集し、どうするか決め、すべての妊孕性温存を終えなければならないという状況に、途方に暮れそうになりました。何も知らないと何も決められないと思い、知りたいことをノートに書き出し、情報を探し始めました。

まず、先生を初めとした医療者に助けを求めました。主治医の先生や婦人科、生殖外来はもちろん、それまでにかかっていた不妊治療クリニックや、かかりつけ医、ソーシャルワーカーさん、看護師さんなど、頼れる医療者に会いに行き、情報と参照先(どんな文献を読めばいいか、どんなキーワードでネット検索すればいいか、他に頼れる場所や人があるかなど)をもらいました。

医療者に聞いただけでは分からないことや疑問点は、自分でも文献やインターネットで調べました。私は仕事柄、信頼性の高い情報の重要性は理解できていましたので、エビデンスに基づいたデータを探し求めました。しかし、当時、「妊孕性温存」や「がん患者の生殖治療」は新しい研究分野であり、ガイドラインはもちろん、参考になる資料も簡単に見つかりません。私は、専門書や海外論文(Pubmed)や海外の患者支援団体のサイトなど、少しでも関係ある情報を得ようと、寝る間を惜しんで必死に探し続けました。(今では、学会などが実施する市民公開講座や、信頼性の高い施設や団体が実施するセミナーや勉強会、がん情報サービスのような情報サイト、冊子、ガイドラインなど、必要な情報が得やすくなりました。また、妊孕性温存や生殖治療についても、日本がん生殖学会の「乳癌患者の妊娠・出産と生殖医療に関する診療の手引き」や、日本癌治療学会の「妊孕性温存に関する診療ガイドライン」、「日本がん生殖学会」や「小児・若年がんと妊娠」などのサイトから情報が得られます)

こうして得られた情報から導き出した考えや思いを、主治医(乳腺)と担当医(婦人科)と相談して、どうするかを決めていきました。

よりどころとなる情報がほとんどない不確実な状態で重要な決断をしなければならないことは、何よりもツラく苦しい作業です。私は、この経験から「知識は力」であると学びました。治療が始まった後も、時間が許す限り、勉強会やセミナー、学会などに参加しながら、最新の研究や治療を学ぶとともに、自分の知識をアップデートしています。まず、正しい知識を得ることで自らの立ち位置を理解でき安心できますし、何より気持ちが楽になりました。そして、必要な時に必要な決断ができるように備えられます。そうやって、自分で納得できる選択していくことで、後悔のない人生につながると考えるようになりました。

現在、がんの治療ではさまざまな専門職が総合的に支援してくれる「チーム医療」が導入されています。がん情報サービスには「チーム医療ではがん患者もチームの一員」と書かれています。正しい情報を得ることで、医療者とのコミュニケーションもとりやすくなり、短い診療時間の中でも、より深い話ができるようになってきたように思います。チームの一員として医療者から差し出された手をきちんと握り返せるように、ただ与えられるのを待つのではなく、自ら学び、自分を知り、自分の思いや考えを言葉で表現できるように、これからも努力を続けていきたいと思います。

3. がんを体験したからこそわかったこと、伝えたい思いを教えてください

今でもがんになって良かったと思うことはありませんが、がんになって得られたことも多かったです。それまで当たり前に思っていた命や健康が、かけがえのないものだと知ることができました。命が限りあるものだから、やりたいことを先延ばしせず1日1日を大切に過ごそうと意識するようになりました。周りの人の温かさに触れ、たくさん感謝できるようになりました。病気を通して、たくさんの出会いとご縁も生まれました。仕事など失ったことも多いですが、患者支援活動など得られたことも多く、私は今とても幸せな日々を送っています。

この記事をご覧になっている方の中には、告知されたばかりでショックを受けている方もいらっしゃると思いますが、また自分らしさを取り戻して笑える日がくるということをお伝えしてこの寄稿を結びたいと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました。