第8回 齋田聖子さん


1.がんがわかったきっかけについて

私は38歳になる数か月前に会社の健康診断がきっかけで大腸S状結腸がんがわかりました。正社員で勤務し、仕事中心の生活でした。毎年1回の会社の健康診断にはがん検診も含まれており、大腸がん検診の便潜血検査で陽性が出たため、要精密検査となりました。

それまでの健康診断でも胃カメラ(内視鏡検査)でピロリ菌に感染していることがわかり、その後、除菌治療をしたことがあったため、精密検査で病院を受診することに抵抗はありませんでした。すぐに地元の総合病院の消化器内科を受診すると、先生からは「若いから痔でしょう」と言われましたが、念のため大腸内視鏡検査を予約しました。たまに切れ痔になることがあったのでそのせいか、もしくは大腸にポリープでもあるのだろうという軽い気持ちでした。

大腸内視鏡検査直後の診察で、撮影した画像を見ながら「このできものが悪いものかどうか検査するために一部組織をとりました」と言われました。その後、採血やCT検査の追加がありましたが、そのときはまだがんとは思っていませんでした。私の中で無意識に正常性バイアスが働いていたのかもしれません。でも後日、インターネットで大腸内視鏡検査の腫瘍画像をいくつか見たところ、自分の腫瘍画像はポリープより進行がんにそっくりだったので、そこでようやく「もしかしてがんかも」という大きな不安を感じました。

2.治療について:治療方針をどのように決定したか?検索した情報サイトがあれば教えてください

告知では、CT検査で腫れているリンパ節があるとのことでステージ3の進行がんと言われました。「目に見えなくてもすでに血液の中にがん細胞がいる。正確には、術後リンパ節にどれくらい転移があるかを見て、その個数で術後の抗がん剤治療の方針が決まる」「切除は腹腔鏡手術。当院は腹腔鏡手術の実績も多く、退院日も早い」とのことでしたが、正直なところ腹腔鏡手術にはいいイメージがなく、退院まで早いと言われてもかえって不安でした。
  しかし、このときまでにインターネットで大腸がんのステージ毎の治療についても調べ、S状結腸の切除では、腹腔鏡手術が主であることは理解していたので、別の治療法を探すためのセカンドオピニオンは不要だと思ったこと、今までに家族もいろいろな科でお世話になっている病院だったので、ここでお願いすることにしました。

インターネットの情報については、がんかもしれないという頃に、母が新聞で「がんの情報はきちんとしたサイトで」という記事を見つけてくれ、そこに『がん情報サービス』などのサイトが紹介されていました。さっそく見た『がん情報サービス』からは、そこで紹介されている『わたしの療養手帳※1』を印刷し、診察時の情報整理や入院準備に活用しました。
 もうひとつ、大腸がんに特化した情報サイト※2から、ステージ毎の治療法、手術情報など知識を得ていました。そこで内視鏡手術の認定医制度があることを知り、私の手術の指導医という方が認定医であること、その医師が大腸がんの手術を解説しているサイト※3を手術前夜にみつけ、安心して手術に臨むことができました。

退院後は、病理検査の結果を受けて抗がん剤治療を決める診察までの間に、抗がん剤治療について自分なりに調べました。まず、近隣の病院のがんサロンで「抗がん剤治療の副作用」をテーマに勉強会があったので参加しました。インターネットでは、同じステージで抗がん剤治療をした患者さんのブログをチェックし、数種類の抗がん剤治療の療法のうち、どのタイプ(CVポート設置の有無等)が自分の生活に合うか、患者さんが副作用にどのように対処しているのか等ノートにメモをして検討しました。

その間に抗がん剤治療が妊孕性へ影響を及ぼすことも知りました。大腸がん患者向けの妊孕性温存の治療について、インターネットにはほとんど情報がなかったので、がん治療の電話相談を活用し、県内外の温存治療をしている病院を調べたりしました。
 診察時には、医師から提案された抗がん剤治療の療法が、私が決めてきた療法と同じだったので、迷いなく治療を決めることができました。医師からは妊娠を希望するなら抗がん剤治療をしない選択肢もあると言われましたが、治療を優先することを決めてきたことを伝え、半年間の術後補助化学療法を始めることとなりました。

その後、抗がん剤治療中に仕事を休職するかどうかについてとても悩み、がんと仕事について会社員のインタビュー記事がたくさん載っているサイト※4や、一般社団法人CSRプロジェクト※5の桜井さんの記事を読んだりして、判断の材料にしました。
 私がここまでじっくり時間をかけて調べることができたのは、会社側から退院後も休む期間をもらえたことと、告知後に実家に戻り、両親のもとでゆっくり生活できたことが大きかったです。その環境をいただけたことにとても感謝しています。

もうひとつ、私が治療前から、ある程度前向きにいることができた理由がありました。告知前後に初めて見たある大腸がん患者さんのブログです。その方は治療を受けながら仕事をしていると書かれていて、「がんでも働くことができるんだ」と漠然とですが安心したのです。その頃会った友人は、亡くなられた患者さんのブログを見たと心配してくれたのですが、私は「がんでも働いている」という情報に出会っていたのでなんとなく前向きな気持ちで、友人との気持ちのずれを不思議に感じたのでした。

※1 わたしの療養手帳:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]
https://ganjoho.jp/public/dia_tre/dia_tre_diagnosis/hikkei_mynotes/index.html
※2 大腸がんのことがよくわかる 大腸がん情報サイトhttps://www.daichougan.info/
※3 写真・画像でみる大腸がんの腹腔鏡下手術 | メディカルノート https://medicalnote.jp/contents/160802-008-YC/
※4 現在はないようです
※5 一般社団法人CSRプロジェクト | 働き盛りのがん経験者・家族・医療従事者・企業ネットワーク
http://workingsurvivors.org/

3.がんを体験したからこそわかったこと、伝えたい思いを教えてください

自分ががんになる前は、がん患者さんの生活について考える機会もなく過ごしてきましたが、自分ががんになってみて初めて、がんに罹患したたくさんの人たちがいろいろな活動をしていることを知りました。仕事のこと、アピアランスのこと、子育て世代の支援等々、がん患者さん向けであったり、一般の方へのがんの啓発のためだったり。そういった活動をしている方たちのお話や情報を聞いて、前向きなエネルギーをたくさんいただきました。

自分も経験を生かしたいと思うようになり、少しずつがんのイベントに参加することから始めました。罹患後3年目に参加したイベントで、これから活動を始めるという人たちと出会うご縁があり、現在のAYA世代のがん患者さん向けの支援活動に加わることになりました。AYA GENERATION+group(通称アグタス)です。ここで出会った方たちとの交流で、経過観察中の不安な生活もたくさん支えていただきました。

私はがんになったことで、がんという知らなかった世界を知り、新たな出会いを持つことができたと感じています。そして「がんになったつらい毎日」というだけでなく、がんの経験をいかして生きていくこともできるとわかりました。
 がんと告知され、絶望的な気持ちでいっぱいという状況の方に、がんを抱えてこんな風に生きている人たちがいる、治療しながら子育てをしたり、仕事をしている人たちもいる、そういった多様性のある情報が届いてほしいと強く思います。ささやかですが、その一端を担う活動ができたら、とても嬉しいです。

<患者会情報>
AYA GENERATION+group(アヤジェネレーションプラスグループ)通称アグタス
代表者:桜林芙美 

連絡先:公式LINE https://lin.ee/25RcH0Z
ホームページ  https://agutas.com//
 小児・AYAがん経験者、そしてその後40歳以上となったプラス世代※6のがん経験者を対象に『必要な時、必要な人へ場所へ情報へと繋ぐ。必要なものをつくる』 を目指して、多種多様な課題解決と、「大丈夫」「ひとりじゃない」を感じられる居場所づくりを、交流会やイベントを通して、時に愉快に、時に真面目に取り組んでいる団体です。
 2019年12月に発足後、現在はコロナ禍のため、オンラインを主体に毎月のZoom交流会やイベントを開催しています。家族や友人、医療関係者も参加できるイベント「AYAまつり」も毎年開催。過去のAYAまつりの様子は公式YouTubeチャンネル※7で配信していますので、ぜひご覧ください。

※6 プラス世代とは、アグタス独自のカテゴリーです。39歳までの小児・AYA世代でがんに罹患した後40歳を超えた方として、交流会等を開催しています。
※7 アグタス公式YouTubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0GVJP4oIlkDDzjCROocKFQ/about